このテーマ、3回目です。
反響が大きく、皆さんの興味があるところなのだろうと思います。
個人的にも、ここは大切にしているところですし、カウンセリングで傷ついた経験を経て
心葉に来られる方もいて、そうすると最初はとても警戒されていたり。
何でこういうことが起きるのか、また少し頭の中で整理出来てきたこともあるので、
改めて書いてみます。
『辛くないカウンセリング』の過去のブログの記事を読み直してみて、言い足りてない
感じもあって、じっくり考えてみました。
で、分かったのは、『辛くないカウンセリング』に大切な要素は3つあって、
どうやらその1つしか書けていなかった・・。
どどーん。
繰り返しにはなりますが、その1つを簡単におさらいすると。
人の身体・脳は、『A:論理・理性的に物を考える大脳新皮質』、『B:感情を認識する大脳辺縁系』、『C:身体感覚や生理的な機能を司る脳幹~内臓』という3つの部分から成り立っています。
以下、A・B・Cとしますね。

で、悩みが深かったり、自分ではコントロール出来ないような何らかの症状が出ている時、『C:身体感覚や生理的な機能を司る脳幹~内臓』に反応が出ています。
身体が重かったり、やる気が出なかったり、不安が抑えられなかったり、食べ過ぎちゃったり、
いてもたってもいられなくなったり。
だから、何かや誰かに助けを求めたくなる。
そんな時、周りの人が、良かれと思って、『A:論理・理性的に物を考える大脳新皮質』に働きかける。
「○○すればいいんだよ」とか「気にしないように」とか「頑張れば出来る」みたいに言ってくれる。
でもね、『んなこたーわかっとるし!』ってなる。
理性や論理の脳はもう分かってる。
くよくよしたって何も変らないこと、十分理解してる。
そして、これはまだ良いんです。
助けてあげたい、援助したい、っていう気持ちは伝わるので。
怖いのは、傾聴スタイルのみのカウンセリング(『A:論理的に物を考える大脳新皮質』と『B:感情を認識する大脳辺縁系』を行ったり来たり・・)。
「とても辛い気持ちは分かります。その気持ちの奥にあることを一緒に考えてみましょう」とか。
ぎゃー、やめてー。
どんどん辛くなっちゃうよ・・。
そんなこと言ってる前に、『C:身体感覚や生理的な機能を司る脳幹~内臓』に働きかけてあげる心理療法をしてあげて~。
っていうことをブログ記事『辛くないカウンセリング②』で書きました。
これが、辛いカウンセリングその1。
次、辛いカウンセリングその2。
例えば、パワハラなど職場の人間関係で困って、どこかのカウンセリングを受けたとします。
すると、カウンセラーからは何故かこう言われます。
「あなたが傷ついたことはよく分かりました。ですが、その傷付きの根本はもっと根深いのです。あなたの小さい頃の傷つきが今の傷付きを作っているんですよ」
うーん・・そうかも知れません。
でも、そうじゃないかも知れません。
大切なのは、カウンセラーがまずはそこを見極めること。
これは実際に、私が直接ご本人から教えてもらった話。
仕事が上手くいってないという相談だったのに、5回セット(1回20,000円くらい)の
ピプノセラピー(催眠療法)で、過去の自分に会いに行って、それを癒やすことを勧められる。
ご本人は、何かよく分からないままに、カウンセラーに勧められて、そうなのかなーって思って。
・・で、良くならないですよね。
当オフィスでお話を伺ったところ、完全に会社の労務管理上の問題でした。
要は、事業主は、労働安全衛生法に則り、労働者が健康・安全に働くことができるよう
安全配慮義務を果たす必要があり、その代わり労働者は自己保健義務という自己管理を
していく必要があります。
上司のパワハラが安全配慮義務に反するものであれば、これは法律違反です。
それを放置したままのケアなんて、あり得ないですし、まずその状況・環境を改善する
働きかけが必要です。
具体的には、社内のハラスメント相談窓口があるか、労働組合は機能しているか、
職場の担当産業医・保健師など医療職からのサポートは得られるか、別の信頼出来る
上司との連携は出来るか、必要に応じた医療機関の受診は出来ているか、家族の
協力は得られるか、などご本人の状況・環境を改善するためのアドバイスをしたり、
新たな可能性を検討したりします。
こういう場合のカウンセリングは1回で終了です。
数回かけて○○セラピーをする必要はありません。
(ただし、状況・環境を変えた上で、心理的なダメージが消えず残っていたら、
それは心理療法によるケアの対象になりますので。)
もう一つ、実例。
発達障害や双極性障害(最近の流行の概念としてはHSPも?)など、いわゆる器質的(元々の体質的)な課題がある場合、
ここそのものは心理療法の対象にはなりません。
でも、そうした状態の上で、傷ついたり、不安になったり、そういう側面をサポートする。
また、身に付けていった方がよいスキルや情報を提供する。
そういうことはカウンセリングがお役に立てるところです。
状態を見立てる力がトンチンカンなカウンセラーに当たってしまうと、
ご本人は発達障害っぽさで苦労しているのに、催眠療法やろうとしたり、傾聴しちゃったりする。
方向性間違ってるのにガンガン進めちゃって、良くならない挙げ句の果てに、カウンセラーから「良くならないのは、あなたが甘えているからだ」とか「本心で良くなろうと思ってないからです」とか言われる。
これもキツいですよね。
臨床経験として、医療現場を経ていないとこういう事が起こりやすいです(もちろん、
医療現場の経験がなくても、勉強をしっかりしていれば大丈夫なんですが)。
この2つの例で見えてくるのは、○○セラピーの押しつけ。
それが的に当たっていれば、いいんです。
的に当たってさえすれば、改善していきます。
自分のこと、正しく把握してもらえていないなと感じたら、それをちゃんと伝えてみる。
ちゃんとしたカウンセラーなら、それを受け止めて、仕切り直します。
思い切って伝えたら、カウンセラーに否定された、怒られた、邪険にされた、とか。
論外です・・。
でも、実際にしばしば聞く話なのが、悲しい・・。
あとちょっと余談ですが、的に当たっているのに、なかなか変化しない、ということは
実際には起きます。
これは、自分に対する否定的なイメージ(自分は駄目、とか自分は価値がない、とか)を、
幼い頃から刷り込まれてきていると起こりえます。
治る(直る)ことが自分らしくない、良くなるイメージがそもそも湧かない、など
言われたりします。
この点は、ブログ記事『何でまた繰り返してしまうだろう?』で書いてますので、ご参考まで。
さてさて、辛いカウンセリングその3。
カウンセラー(臨床家)の力量が最も試されるのが、これ。
自分としても、努力はしていますが、100%ちゃんと出来ているとは言い切れません。
でも、とても大事。すごく大事。
結論から書きます。
心理療法(セラピー)の詰め込みすぎ。
辛い状態にいる方の早く改善したいという思い。
お金をあまりかけられないし、時間もないしという人も少なくありません。
だから、善意でカウンセラーがやり過ぎてしまう。
比較的メンタルの健康度が高いけれども、想定外のことが起きてカウンセリングに来てみた、
とかそういう場合は、あまり心配はなくて。
こういう方の場合、カウンセリングで感情が揺れることがあっても、その後しばらくすれば落ち着いてきます。
でも、例えば辛い生育歴があって、『安全・安心』であるはずの親が『危険』を与えてくる存在
だった場合、心理療法(セラピー)で、大きな『安全・安心』に導くことは、同時に『危険』も
想起させることになります。
(例えば、ギューッと抱きしめてくれていた親が、急に切れて暴力振るう。これが続いたら、子どもはどうなっていくでしょうか・・)
気持ちがぐわんぐわん揺れてしまいます。
引いては、調子が悪くなったり、カウンセラーが怖くなったり(実際に怖いわけではなく、
怖い存在として感じてしまう、という感じです)、不安定になったりします。
じゃあ、どうするか。
ちょっとずつ、作るんです。『安全・安心』を。
脳や自律神経系、ホルモン系、免疫系など、上で書いた『C:身体感覚や生理的な機能を司る脳幹~内臓』の部分がびっくりしないような速度で、スポイトで水を一滴一滴垂らしていくように、微妙な具合でカウンセリングを進めていく。
すると、その人の心の強さが徐々に育ってきます。
人によっては、年単位がかかります。
長いでしょうか・・。
でも、始めなければ、何も変りません。
むしろ放っておくと、悪い循環が続くので、悪化していく一方なこともあります。
カウンセラーの本当の力量は、ここで試されます。
自分も時につまづきます。そして、凄く反省します。
「あー、やり過ぎた」「聴きすぎた」「伝えすぎた」
・・・。
自分の中で上手くいかなかったなーと、今でも思うカウンセリングを振り返ると、心が折れそうになります。
カウンセラーだって凹むんですよ。
当たり前か(笑)。
だから更に学びます。二度と繰り返さないために。
辛いカウンセリングその1は、知識を学べばクリアできます。
辛いカウンセリングその2は、経験を積んで、心理療法を学べばクリアできます。
でも、辛いカウンセリングその3は、カウンセリング業界の現時点のレベルでは対応
できていません(体系的に教えられる人がいない)。
なので、それぞれのカウンセラー(臨床家)が、創意工夫で対処しようとしているという
状況だと思います。
というか、その3への問題意識があるだけで、まだ良い方かなという気もします・・。
心葉のカウンセリングは、ここを突破したい、と思っています。
いつゴールが見えるのか、今は分かりません。
登ろうとしているのは、途方もない山なのかもしれません。
でもね、その先があることを知っちゃったから。
そこにたどり着けば、助かる人が沢山いることも知っちゃったから。
辛い思いをして来られた方が、更に辛い思いをすることがないように・・。
何か未開の地に足を踏み入れる探検家のような気分(笑)。
真摯に、でもワクワクしながら、そこを目指していきます!
コメントをお書きください
WM (金曜日, 26 6月 2020 20:10)
初めてコメントさせてもらいます。
これまでの辛くないカウンセリングシリーズ、それを読むだけでもけっこう安心するので
時々読み返していて、今回③が出たので、またじっくり読ませてもらいました。
わたしには少し難しい部分もありましたが、先生の
「相談に来た人に、これ以上辛い思いをさせない」という真摯な思いがすごく伝わってきて、
やっぱり心葉はすばらしいカウンセリングオフィスだなと思いました。
周りにもし困っている人がいたら、やっぱりぜひ勧めたいと思います。
先生に会えたこと、心葉にたどり着けたこと、本当にありがたいです。
おまつりきんぎょ (月曜日, 29 6月 2020 13:38)
友達にバーって辛いことを話した時って、その時はスッキリして元気になるんですが、あとからどっと重くなることがあります。
苦しいのを勇気を出して周りの人に話したのに、理論とか正論で返ってきたとき、すごく虚しくなります。
先生のカウンセリングは、逆に、終わった後とても軽くなります。
虚しさもなくて、ちゃんと受け止めてもらった感じがします。
ブログの通りだと思いました!
なんくるないさ (土曜日, 04 7月 2020 21:31)
コロナの影響を受け、心が不安定なこと1ヶ月。
調べていたら、こちらのブログに辿り着きました。
凄く納得できる内容でした。
今、Cの状態なのでA、Bの対応をされたらイライラしたりグッタリしたりしてしまいます。
誰かに話を聞いて同意して欲しい。同調して欲しいという気持ちです。
きっと、先生とお話ししたら気持ちが軽やかになるんだろうなと想像できました。
心葉 (月曜日, 13 7月 2020 14:37)
>WMさん
いつもお世話になっております。
コメントしてくださって、とても嬉しいです。
最初はこんな風にシリーズ化するつもりはなかったんですけど、何かそうなっちゃいました(笑)。
でも、今言いたいことは言えたかなと思っています。
『読むだけでもけっこう安心する』と書いてくださって、涙腺緩みました。
カウンセリングに興味はあるけど、お金かかるし、一歩踏み出すのをためらっている人って、結構いるんじゃないかなと思っていて。
このブログは、カウンセリングに行ったことがなくても行った気持ちになって癒やされたり、辛い気持ちを抱えている人が少しでも救われれば、と考えて書いている面があります。
自分の力の範囲で、ですが、困っている誰かのところに今後も届けていきたいです。
引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
>おまつりきんぎょさん
またしてもコメントしていただけると思っていなかったので(失礼・笑)、とても嬉しいです!
人は話を聴いてもらいたい時もあれば、答えを言ってもらいたい時もあります。
また、自分でも気づかずそれらが混ざっている時もあれば、聴いてもらいたい気持ちの裏側に話したくない気持ちが隠れていることもあります。
人の気持ちは揺れ動きます。
ただ一つの正しい正解というものはありませんが、でもその揺れに寄り添って、そこからより良い方向に揺れ動いて・・。
『受け止めてもらった』感じがするとのこと、とてもホッとします。
(って書くと軽い感じになっちゃいますが、こういう感想をいただけると、心の芯に響きます。)
これからもそう感じてもらえるよう努力していきますね。
>なんくるないささん
初めまして。
そしてコメントありがとうございます!
コロナウィルスの影響、各方面で出ていますね。
ストレスという面から考えても、段々と閉塞感が強くなってきて、イライラしやすくなってきたり、すっきりしない社会状況がまだまだ続くと思います。
こんな時は、身近な誰かに頼って、まずは心と身体を休めてみる。
カウンセリングじゃなくても良くて、誰かに寄り添ってもらう。
少しでも気持ちが穏やかになって、素敵な日々を送れるといいですね。
またブログも適宜書いていきますので、お楽しみに!
どうぞよろしくお願いいたします。
ゆきんこ (日曜日, 30 8月 2020 16:51)
はじめまして。
私は、傾聴カウンセリングに週1回通い、2年が経とうとしています。
私は幼い時父が怖く(記憶がぼやけており、怒られて泣いてばかりいた)、今も怖く苦手です。父のトラウマが大きいことがわかってきて、セラピーに進みたいのに進むことが怖く何故なのかと悩んでおり、こちらのブログを見てわかった気がしました(↓下記の所等を読んで)。
【例えば辛い生育歴があって、『安全・安心』であるはずの親が『危険』を与えてくる存在
だった場合、心理療法(セラピー)で、大きな『安全・安心』に導くことは、同時に『危
険』も想起させることになります】
私は愛着障害のようで、今も両親の言い合いが多く、父がいきなり怒鳴るし、母も短気で気分のムラがあり、私は昔から安心できませんでした。
『安全・安心』を少しずつでも作らないと、セラピーに進めないのですね・・・
感じることもよくわからず、セラピーで辛いことが出てくるのが怖いのです・・・
2年も通ってるのに、カウンセラーの男の先生に安心感が持ててない気がします。
傾聴を続けてますが、先生はあまり答えてくれないことはわかっているのですが、私は最近、先生に質問してしまうことが多くなっています・・・あまり話したいことも、気づきもうかばないのです。
お聞きしたいのは↓
●『安全・安心』を少しずつでも作っていくには、どうしていけばいいですか?
●先生には、掘り下げて話していこうという感じのことを言われてますが、少しずつでも掘り下げて話すことを頑張るのがいいのでしょうか?
ご返答頂ければと思います。
心葉 (水曜日, 02 9月 2020 10:47)
>ゆきんこさん
初めまして。
コメントありがとうございます。
2年ほどカウンセリングに通われているのですね。
生育歴の中で色々と辛い思いをされてきたこととお察しいたします。
ゆきんこさんの状況の詳細が分からないので、踏み込んだことまでは言えないのですが、
当オフィスで対応するならどうするかな、ということを少し書いてみますね。
なお、書いた内容が、現在受けておられるカウンセリングの方針と違ってしまう可能性
もありますが、これはそれぞれのカウンセラーの学んできたことや学派の違いのような
ものから生じることです。
今受けておられるカウンセラーの先生を否定するものではありませんし、これまでの2年
を否定するものでもありませんので、この点はご安心くださいね。
それでは、お聞きしたいことの2点目の方からお答えします。
愛着障害的なことに限らないのですが、生育歴で辛い経験をしてきた場合、深く掘り下げる
ことは心理的な苦痛を伴います。
実際の過去には、良い出会いや良い経験もきっとあって、そこにフォーカスしていくと、
過去を良い意味で捉えなおすことが出来ることもあります。
でも、多くの場合、それ以上に辛い経験に圧倒されたり、話すことで再体験(再受傷)
してしまうこともあります。
おそらく掘り下げて行くと、凍っていたトラウマが出てきます。
この時、『トラウマを話す』ことが大切なのではなく、『トラウマを終わらせる』ことが
大切になってきます。
『トラウマを話す』ことは、これまでトラウマを凍り付かせることで、何とか自分を守ってきた部分を解かしていくことになります。つまりは、辛い思いに晒されやすくなるのですね。
そのため、当オフィスでは、トラウマを極力再体験することなく『終わらせる』ことに重点を置きます。
『トラウマを終わらせる』には、ある程度カウンセラーが引っ張って行ってあげるような
対応が必要です。例えば、トラウマをケアするために眼球運動を使うEMDRという
心理療法がありますが、トラウマが変化していく間、言葉は一切発する必要がありません。
(傾聴のカウンセリングとは、大分違った感じの進め方になります)
その他も色々と心理療法や進め方がありますが、苦痛はなるべく短い時間で通過させ、
本来花開くはずだった心の可能性を開いていく。
当オフィスのカウンセリングでは、この視点をとても大切にしています。
これまでの2年のカウンセリングの経過もありますので、掘り下げることが、
今のゆきんこさんの状態にとって、適切だと良いですね。
そして、もう一つのご質問ですが、『安全・安心』を少しでも作っていくには、
身体感覚・イメージ・行動・感情・認知といった、その人の中で拠り所となる内的な力として機能している要素を見極めて、それを伸ばしていくことが必要です。
例えば、辛い経験をしてくると、感情を押し込めるのが普通のことになっていたり、
身体感覚(その時の内的な感覚)を感じにくくなっていたりします。
でもそんな時に、本来の感情や身体感覚はそこに眠っているのだから、そこに意識
を向けて、解放したり、気づきを深めていきましょう、とやってしまうと、頓挫します。
それが怖くて出来ないでいるのに、それをやってみましょう、というのはちょっと
厳しい。苦痛が増してしまいます。
当オフィスのカウンセリングの中で進めていくとするなら、特に最初は苦痛には
焦点を当てません。その人にとって、ポジティブなものだけに焦点を当てます。
例えば普段の日常であれば、散歩するという『行動』が好きだったり、風景を
『イメージ・認知』して画くことが好きだったら、それを通して、嬉しい、楽しいと
いうような『感情』や、心地良い、暖かいというような『身体感覚』にちょっとずつ
繋がっていく。
カウンセリングの中だったら、最近ホッとした出来事や嬉しかった出来事の中から、
自然に湧き出てきた『感情』や『身体感覚』を捉えていったりします。
あるいは、セルフケアとして役立つ色々なスキルをカウンセリングの中で学んで
もらって、日常で使いながら、段々『安全・安心』の感覚に繋がっていく。
また、カウンセラーに対して、『安心・安全』を感じにくいとすると、そこを作って
いくことに時間をかけるかなと思います。
(まずは、そういうことをカウンセラーに言っても良い雰囲気を作るようにしますし、
言ってもらえたらチャンス、と思ったりします。自分は、ですが。この辺は、学派の
違いもあるのかも知れませんね)
こんな感じでしょうか。
当HPには、TFTやブレインジムなど、セルフケアで使いやすい技術も簡単ですが紹介
してありますので、興味がありましたら、見てみてください。
(これらは、他でカウンセリングを受けていたとしても、実践するのに全く支障が
ないのでお勧めです)
以上です。
少しでもお役に立てると良いのですが・・。
どうぞよろしくお願いいたします。
雪 (火曜日, 22 12月 2020 02:51)
こんにちは。以前のカウンセリングが、とても辛くて、納得ができず、途中でやめたのですが、それについて、質問しても大丈夫でしょうか?
行動療法のようなコーチングのような感じのカウンセリングに通っていました。
5~6年ほど、通いました。
依存してはいけない、受け身ではいけない、カウンセリングにどうにかしてもらおうとしてはいけない、と、口酸っぱく言われていたので、
わたしは、自立的かつ、能動的かつ、活動的に、頑張っていました。
カウンセラーの先生の言われることも、しっかり聞いて、受け入れて、努力していました。私のいうことは、「ちがう、そういうことじゃない、~だと思うよ」と、一方的に、押し付けられる感じだったのですが、それも、受け入れていました。
(私の話は、しっかり聞いてもらえないので、先生の言われることを受け入れるしかないのです。)わたしは、とても真面目に、とても努力していました。
私は、趣味でフリマに出したり、同じカウンセリングに通う人たちと、交流したり、ブログを書いたりしていて、カウンセラーは、カウンセリングの間だけでなく、フリマに来てくれたり、ブログをのぞいたり、交流しているのを見聞きしたり、あと、私を、いろいろなところへ、誘ってくれたりもしました。売れるよ、ってほめてくれたり、自立すれば、好きにできるし、自由にできるし、楽しいよ、とも言われていました。
わたしはというと、「とにかく、少々無理をしてでも、頑張りつづけていた」のです。
売れるといわれてもうれしくないし、趣味の依頼が来ても、ほめられても、ぷれっしゃーで、怖いし、行動してもしてもしても、不安で怖くて、楽しいとか嬉しいとか、ふっとんでしまうし、怖くて不安だから、また、頑張るし・・と悪循環でした。
怖さや不安や孤独感は、言っても、取り合ってもらえず、こうしなければ、ああしなければ、自分で頑張らないと、という頑張りなので、怖くて・・・
一方で、無理ができたし、不安や恐怖心も、表に見せないようにも出来るのです。
カウンセラーの先生は、その私の無理していたことには、「気が付かなかった」といいましたが、無理していたことについて、私が、「(自分の心や気持ちを無視した無理な努力は)失敗だった」といったのですが、すぐさま、「そんなに否定しなくていいと思うよ」と言われました。
クライアントの状態を、見て判断するだけでなく、クライアントから、聞いて、自分のカウンセリングが、クライアントにとって、どうなのか、という確認は、必要ではないのでしょうか?
クライアントが言うことに、しばらく、耳を傾けて、何を言いたいのか、じっくり聞く姿勢は、必要ないのでしょうか?
カウンセリングの方法が、行動療法的なもの(私の見解です)なので、こういうものなのでしょうか?
自主性、能動性、自己責任、自主性、をとても、おもんぱかるカウンセリングです。
これは、わたしの見解ですが、「できたこと、いい結果、成長したこと、やれたこと、ほめてもらえたこと、じぶんが、できている、やれている、という成果」などを、
私が、受け入れ、安心材料や評価や認めることをすればいいのに・・と、カウンセラーは、思っていたのでは、と思います。
わたしにとって、それらは、安心や認めること(自信)には、ならないのです。
「評価」という価値観が、くっついてきて、その評価が、崩れる、反転するかもしれないと、怖いのです。
また、趣味のことは、評価では、満足できません。(評価されなくても、好きでいられるかどうか、今思えば、それが、わたしにとって、なにより大切です。)
カウンセラーは、「できているのだから、そんなに不安に思うことないと思うよ」といいました。私は、母親が、できてもできても、やってもやっても、叱り、起こり、責めて、けなして、それをずっと、繰り返してきたので、「できても成果ができても、安心できない」のです。けれど、言っても、聞いてもらえないので、言いませんでした。
それでも、頑張っていました。しかし、「もう無理」と限界が来ました。
カウンセラーは、「気が付かなかった、ごめんなさい」とは、言ってくれたけど、
無理が続いて、何もできなくなり、おびえている私を、
カウンセラーが、私をきつく叱って、私を動かし、
私は、また、恐怖のどん底で無理をつづけることになりました。
私は、精神状態が、酷くなり、その酷い状態のまま、無理を半年以上つづけ、体は動かなくなり、強い発作がでて、
カウンセラーは、「その発作は、こうでないといけないと思っている人に出てくるのよ」と言われたので、
発作を治すため、「きちんとできなくてもいい、できない状態でもいい、と許すことにする」と私が、いうと、カウンセラーは、「すごい、勇気がある」とほめちぎりました。
(わたしは、できない自分を許すのでなく、過剰な無理をしない、どうしても、やりたくないことを無理やりしない、自分にうそをつかない、という方法で、発作を治しました)
できなくてもいいのなら、
再びの無理強いをしなくても、よかったのではないでしょうか?
無理強いでなく、ゆっくり、その状態でも、できる小さなことを探して、そこから着手していっても、よかったのではないでしょうか?
前より、もっともっと酷い精神状態に、私は、カウンセラーによって、追い込まれたように思うのです。
無理強いによって、また何もできなくなっても、「受け身ではいけない」と言われました。わたしは、いつまで、がんばればいいのでしょう?同じことの繰り返しになるのではないでしょうか?
カウンセラー自身が、ずっと、わたしに言い続けてきたのです。
こうでないといけない、こうしないといけない、
こうあらねばいけない、・・・と。
私の言うことは、聞いてもらえず、カウンセラーの意見をすぐ言い、
押し付け、こうでないといけないと、カウンセラーの身をもって、
そう体現してきたのです。
わたしは、そう思いました。カウンセリングに追い詰められた、と。
それから、わたしにとっては、カウンセリングの成果自体が、「評価」そのものでした。
できているときは、にこにこしたり、手放しでほめられ、
動けないと、とたんに、厳しくなりました。
「依存してはいけない」と繰り返し言われることも、本当は怖かった。
おびえると怒られたり、叱られたりしました。
このカウンセラーの方法だと、余計に、不安や恐怖心がわいて、
依存させてしまうように思えるのですが・・
もっと、カウンセリングは、柔軟にすることも、大切なのではないでしょうか?
私は、母に、「自立すること」を求められ、「~しなさい」をもとめられ、「母親のいうとおりにすること」を求められ、「親が言う前に、自分で考えて(親の望むように)動け」と、求められ、
このカウンセラーは、わたしに、母親と、同じことをしてきました。
(違うのは、母親は、やってもやらなくても、責めて、怒るのに対し、
カウンセラーは、よければ褒める、しかも手放しなので、怖い・・)
この母親と同じ、という見立ては、合っていると思いますか?
カウンセリングにおいて、「投影」という心理状態がありますが、
私が、勝手に、「投影」していただけでしょうか?
わたしは、親の顔色を窺うように、先生の顔色も窺っていました。
わたしは、とても、敏感で繊細なのです。
カウンセラーは、「できている私、元気で行動している私」を見て、
あなたは、繊細ではない、とも、いいました。
最後まで、「あなたが~だから」「自分で~しないといけないのよ」と、
相変わらず、いうのです。
カウンセラーのアドバイスやカウンセリングに、ノーをいうと、
いやな顔をされて、カウンセリングを中断してきました。言葉を発しないで、黙って、無視するのです。自分のせいにされ、無視され、聞いてもらえないことがわかっているため、自分の意見をいえず、憤ります。
クライアントには、カウンセリングがおかしいのでは、という権利はないのでしょうか?
真面目に受け入れて、ものすごく努力してきた、私に、「どうしてノーというのか」、それを聞いてもられる権利は、ないのでしょうか?
どうして、あれほどの苦しみを経験しないといけなかったのでしょう。
どんな苦しみでも、取り合ってもらえないのです。
まるで、「くるしいのは、クライアントの側の原因」と思っている風です。
それでは、
「くるしくてOK]ということになります。
わたしは、カウンセリングは、自分をかえる作業だから、苦しみもついてくる、と思っていました。けれど、あまりにも大きい苦しみです。避けられなかったの・・どうして・・?
カウンセラーは「わたしのカウンセリングは間違っていない」という姿勢でした。
(はっきり言葉で言わなくても、行動や表情や言葉で、わたしは、そう思うのです)
本当に・・・?
長くなりましたが、ご意見をききたく、送信します。
この場で、尋ねることではない、趣旨が違うと思われましたら、
ごめんなさい。返信しなくて、放っておいてくださって結構です。
また、私に無理強いして、叱りつけて、こんどは、一人暮らしをさせました。
私の精神状態は、酷くなり、毎日不安や恐怖心がつよく、精神的症状もでてきて、
雪 (火曜日, 22 12月 2020 10:40)
ごめんなさい。長文を送ってしまいました。
ご迷惑ですよね。申し訳ありませんが、そちらで
削除してください。
心葉 (火曜日, 22 12月 2020 13:01)
>雪さん
初めまして。コメントありがとうございます。
書いていただいたことは、とても大切なことなので、自分の時間の取れる時に、何回かに分けてお答えしていきたいと思います。
(本来業務のカウンセリングが優先になりますので、この点はどうかご理解ください)
これまで色々と辛い思いをされてきたことが、文面から伝わってきました・・。
世の中には、様々なスタイルのカウンセリング(心理療法)があり、またそれを扱うカウンセラーの人柄もそれぞれです。
仮に行動療法のようなタイプのカウンセリングだったとすると、意図して内面の課題に深く入ることはあまりないと思いますので、元々傷ついていた心の柔らかいところを、グッと押されてしまったのかも知れませんね。
(もちろん、そのカウンセラーさんは良かれと思ってされたのだと思いますが)
雪さんがコメントしてくださったように、お母様との関係が、カウンセラーに投影されて、ということは起きていたと思います。そして、そこの絡んだ糸を、カウンセラーに解きほぐしてもらいたかったというお気持ちもあっただろうと思います。
その時の自分に合っていない、傷つきが深まっていく、としたら、カウンセラーとの相性やカウンセラーの技量(適切な心理療法を提供できているか)の問題であって、雪さんの問題ではありません。
カウンセリングによって、心の傷つきが深くなってしまった面があるようですので、本当に心が痛みます・・。
>>以前のカウンセリングが、とても辛くて、納得ができず、途中でやめた
とのこと、それで良かったのではないでしょうか。雪さんは、何も悪くないと思いますよ。
一先ず、思いつくところをコメントさせていただきました。
本当はもう少し丁寧に回答したいところですので、今後少しずつ回答していこうと思います。しばしお待ちください。
(※カウンセリング業務内容に関する返信は、本来はしないようにしているのですが、コメントを拝見して、とても胸が痛んだのと、同じように辛い思いをされている方の元に、少しでも届くといいなと思って、書いてみます。でも自分がキャパオーバーにならないように、無理なくコメントしますので、ご安心くださいね)
雪 (火曜日, 22 12月 2020 14:50)
温かいお返事をくださり、ありがとうございました。涙がでてきました。嬉しかったです。
このような場所で、返信を求める事柄ではないこと、ごめんなさい。つい、甘えて、書き込んでしまいました。
本来なら、カウンセリングの予約をきちんと入れて、お金を払って、相談させていただくのが、
筋ですよね。
そちらに、きちんと、カウンセリングを、申し込んで、この内容について、お話を伺いたいのですが、岡山県在住なので、通えなくて、残念です。
どうぞ、削除してください。
多分、この件について、書いて頂くのは、相当な、エネルギーに、なると思います。プライベートの時間を使って、無償で、して頂くことに、なりますので、
大変申し訳なく思います。
きちんと、正規の手続きで、正しいやり方をしたいと、
私と同じような書き込みが来て、
そちら様が、困ることになるかもしれません。ご迷惑を後々、かけることに、なる可能性が、あります。それでは、大変申し訳ないです。
本来なら、私自身で、癒す傷ですよね。自分で出来ないなら、正規のやり方で、人の手を借りて、癒していくことが、正しいことですよね。そちら様の親切や優しさが仇になっては、いけないので、
どうぞ、削除してください。
でも、温かい返信、感謝しています。労を掛けて、わたしのために、書こうとして下さったこと、
そのお気持ち、とても嬉しく思います。
どうぞ、削除されて、そのお気持ちを、カウンセリングを、申し込んでこられる方の為に使って下さい。プライベートは、休まれて下さい。本当に、甘えてごめんなさい。
書いてくださった内容、投影のこと、調べてみますね。
ありがとうございました。
嬉しかったです。
雪 (火曜日, 22 12月 2020 15:02)
書き間違えを、していました。
正規の手続きで、正しいやりかたをしなければ、
わたしと同じような書き込みが来て、
そちら様が困ることに、なるかもしれません。
です。ごめんなさい。
雪 (水曜日, 23 12月 2020 15:09)
もう一言だけ、失礼します。
カウンセラーには、
カウンセラー自身の、
カウンセリングに対するあり方や姿勢が、あり、
多種多様ですよね。
あのカウンセラーの先生が、
常々言われていました。
依存してはいけない、
カウンセリングが、どうにかしてくれると思ってはいけない、
と。
その、考えに基づいて、
沢山ある、セラピーの中から、
わざと、それを、選んで、
他の方法は、使わないのかも、
しれません。
話を聴いてくれようとしないのも、対話型でないのも、
丁寧な説明がないのも、
クライアントが、カウンセリングを、受けていて、
傷つきが深まるのを、
無視しているのも、
クライアントが、
カウンセラーのセラピーに、
NOを、いうことを、
受け入れないのも、
カウンセラーには、
カウンセラーの、
カウンセリングに対する考え方があり、
ある意味、このやり方に、納得いかなくて、止めるのなら、
それは、それで、いい、
というような、
そういう考えがあったのかも、しれませんね。
そういう理屈だと、
カウンセリングが、間違っているかどうか、は議論の仕様がないですよね。
例え、カウンセリングで、
傷つきが、深まったとしても、
潜在的に、クライアントが、
持っていた課題が現れた、ということであり、
悪いことでも、
カウンセリングの責任でもなく、
また、そのカウンセリングで、クリアすべき課題であって、
だから、
こういうアドバイスを、受け入れたから、余計に苦しくなった、という主張は、筋違いであり、
わたしが、受けているカウンセリングに対して、
NOを、突きつけることは、
カウンセラーにとっては、
「そういうことではない」
のかも、しれないですよね?
わたしが、どれだけ、カウンセリングで、傷つきが深まったとしても、その原因は、私にあり、
カウンセリングには、無くて、
そうなのかもしれないですよね?
わたしは、カウンセリングが、間違っている、と思わずにはいられません。でも、そういうことなのかもしれない(間違っている、云々ではない)のかもしれません。
(ごめんなさい、節度を持って、書き込みますね。)
心葉 (木曜日, 31 12月 2020 14:19)
>雪さん
再度のコメントありがとうございます。
カウンセリングそのものについて、色々な思いが降り積もっていることと思います。
ピンポイントでお答え出来るか分かりませんが、お答え出来そうなところを少し書いてみますね(その他は、また後日書きます)。
カウンセリングの進め方は、例えば○○療法のような、ある程度パッケージ化されたやり方をしたとしても、それを扱うカウンセラーによって、そのカウンセリングで受ける体感はかなり異なってくると思います。
同じ研修やトレーニングを受けてきた専門家であっても、実際に臨床で使う際には、その人ならではの味が出ます。この辺りは、何らかの職人(料理人や音楽家とか、何でもそうなのだとは思いますが)が、一つの仕事を極めて磨けば磨くほど、その人の個性に行き着いてしまう、というような感じと似ているでしょうか。
音楽家って書いたので、連想して書きますが、良い楽器=心理療法、演奏者の技術=カウンセラーのあり方、という風に考えても良いかもしれません(もちろん、こんな単純な話ではないと思いますが)。
どちらが大切かなと言うと、『良い楽器』はもちろんあった方が良いですが、『演奏者の技術』が土台なのではないかなと思います。
って書いてると、自分はどうなんだ、と自分で自分に突っ込みを入れたくなるわけですが(苦笑)、ここはもう磨くしかない、ですよね。
どこで?
そう、これはあらゆる場面で、です。
仕事は仕事、プライベートはプライベート、って割り切るのも大切って言われたりします。
でも、実際にはどんな瞬間からも学ぶことは出来るし、何よりその人を創っているのは、何か特別な出来事ではなく日々の生活習慣ですよね。
日々の事に丁寧に向き合っていく。
そういう姿勢が、仕事(カウンセリング)にも反映されるような・・。
カウンセラーですので、カウンセラー仲間というのが沢山いるわけですが、自分が困った時に相談したいなーと思う人は、年齢・性別・臨床スタイルに関わらず、普段も優しくて魅力的で尊敬できます。
つくづく自分もそうありたいな、と思います・・。
たまに立派だけど怖いと感じさせらる人がいますが、個人的な主観では、大学の先生とか組織の管理職の立場に適任ですが、一介のカウンセラーには向かない人もいますね・・。
すいません、ちょっと脱線してしまったかもです。
また時間のある時にコメントしますね。
雪 (土曜日, 02 1月 2021 23:59)
お忙しいなか、返信頂き、ありがとうございました。
私が、あまり、書き込むと、話が広がっていき、終わらなくなるかもしれないので、
心葉さんの、コメントが、終わるまで、大人しく待たせていただきますね。
心葉 (月曜日, 18 1月 2021 16:54)
>雪さん
少し時間が取れましたので、また書いてみますね。
どこについて書こうかなと迷うところはあるのですが、やはり『愛着』については
カウンセリングで避けて通れないところなので、ここを書こうと思います。
発達心理学の中でいう『愛着』は、一般的に言う愛着とはちょっと違いますので、少しその説明をします。
一般的な意味での愛着は、ある物や人に対して親しみの情を感じて(いわゆる愛情と言えるでしょうか)、心を惹かれて離れがたく感じる、というようなものですが、発達心理学の中では、発達過程の中で養育者から、必要な形で守ってもらったり、与えてもらったり、関わってもらったりすると、『愛着』が形成されていくと考えます。
(細かな説明は、その分野の書籍などをご参照ください)
ごくかいつまんで書きますと、赤ちゃんは無力な状態ですが、泣いたりぐずったりした時に、その状態やニーズに気づいて、周りの養育者が適切に関わると、赤ちゃんの中に『この世(実際には身近な人たち)は、自分を守ってくれる』という感覚が育ってきます。
この時点では、まだ他者からの一方通行の働きかけがあるだけです。
そしてこの感覚が定着してくると、『周りは味方なのだから、助けを求めれば助けてくれるし欲しいものをくれる』、と認識するようになり、辛い時には自らそれを表現できるようになります。またそれを受けて、周囲の養育者が適切に返してくれるという関係性も出来てきます。
こうして私たちは、『愛着』という感覚を養育者との関係の中で、相互に交流する中で形成していきます。
つまり、ピンチに陥ったら誰かが必ず助けてくれるのを知っていて、自分から助けを求めても良いのを知っている、という感覚が根付きます。
もちろん、100点の養育者なんていませんので、例えば夫婦で協力して、出来ないところはサポートしあったりして、子どもを育てて行きます。
こうして安定した『愛着』が出来ると、後々成長していった時の自己肯定感(自分はそもそも良い存在だ、という感覚)に繋がっていきます。
私たちは、大人になっても、傷ついたり、失敗したり、凹んだりします。そんな時は、一旦この『愛着』をくれる人や物に頼りたくなります。話を聴いてもらったり、好きなことに打ち込んで自分を満たしたり。
そうやって、『ああそうだ、自分は助けてもらえる存在だし、辛い時にはこうして頼れば良かったんだ』って感じて、気持ちを切り替えていくことができます。
これがカウンセリングの基本です。
傾聴してくれて、回復する、という構造ですね。
そして『愛着』が安定していた過去がある方は、これで大丈夫なんです。
でも、養育者がそれを(100%は)提供してくれず、『愛着形成』が不安定なままになっていた場合、話を聴いてくれるカウンセラーがいたとして、そしてそのカウンセリングが、行動療法などの、問題を解決することに焦点を当てたものだったりすると、相談者さんの本当に欲しいものは『愛着』なんですが、カウンセラーは良かれと思って『問題の解決』に導こうとする、ということが起きてきます。
では、どうしていく必要があるかですが、第一に『愛着の再形成』をしていくことが大切だと思います。そしてその次に『問題の解決』をしていきます。
例えば、海に落ちてしまって浮遊物にしがみついている人がいたとします。岸までの距離もあって、とても泳げそうもなかったら、どうするか。
あらゆる手段を使って助けに行くんですね、カウンセラーが。
遠く離れた高みから、適切な泳ぎ方を教えて、なんてしない。
まず、現場に行き、助けます。
これが『愛着』の基礎を作ります。
私は助けてもらえる存在なんだって、体感してもらう。
で、助けてもらった後、本当は泳ぎ方を知りたい、体力の付け方を知りたい、といったニーズを聴いて、それを提供していく。ここが『問題の解決』。
こんな風に考えてみると、自分に必要なことは何なのかが見えてくると思いますし、またそれを提供してくれるカウンセラーかどうか、も分かってくるかもしれませんね。
『愛着』が生育歴の中で完璧に形成される人というのは、ほとんどいないように思います。どんなに素晴らしい養育者でも、時にはボタンの掛け違いをして、子どもを傷つけてしまいます。
でも、その傷は癒やすことができます。
癒やすことに必要なのは、本人の努力や頑張りではありません。
他者からの慈愛の気持ちや繋がりです。
色んな方の中で癒やしが起きていくのを見てきているということに加え、自分が様々な心理療法を学んでくる中で、自分の『愛着』の課題を扱ってケアしてもらい、それが変化してきた(安定してきた)のも実感しているので、そういうことが広く一般的に知られていくと良いなと感じます。
今回は、ここまでにしますね。
また時間が出来た時に、思うことを書いてみようと思います。
心葉 (月曜日, 18 1月 2021 23:13)
すみません、読み直してみて、ちょっと補足しますね。
以下の箇所
こうして安定した『愛着』が出来ると、後々成長していった時の自己肯定感(自分はそもそも良い存在だ、という感覚)に繋がっていきます。
→こうして安定した『愛着』が出来ると、後々成長していった時の自己肯定感(自分は誰かの意見に左右されず、そもそも愛されるに値する存在だ、という感覚)に繋がっていきます。
あと、もう一つ、以下の文章に付け加えます。
辛い時には自らそれを表現できるようになります
→辛い時には自らそれを表現して、そこに動いていけるようになります
という感じでしょうか。
雪 (木曜日, 21 1月 2021)
丁寧な、説明、ありがとうございました。
愛着の再形成、それが大事なんですね。
確かに、助けてもらえるという安心感や繋がりのない状態で、何かしても、いい方向へはいきませんよね・・。
わたしも、何をやっても不安定で、その不安定な気持ちを、押し込めて、頑張るという方法にしかならなかったです。
ひとつ前の、心葉さんのコメントに、
「学ぶ(磨くようにする)」という言葉が、ありましたね。学ぼうという姿勢を、持ってくださるカウンセラーのかたなら、クライアントも、安心感が増しますね。そういう姿勢でいてくだされば、柔軟に、進めたり、休んだり、カウンセリングの方法も、クライアントの状態や歩調に、合わせてもらえるでしょうね。
パニック発作がでたとき、
発作だけの問題でなく、ほかの精神的な問題も抱えていました。誰にも、頼れず、本当に辛かったです。あのとき、こちらのカウンセリングに、通えることができていれば、良かったです。
雪 (木曜日, 21 1月 2021 16:23)
ごめんなさい。
考えれば考えるほど、落ち込んで辛くなってしまうので、
コメントしていただくのは、ここまでで、いいです。自分で書き込んでおいて、本当にごめんなさい。
でも、ご親切にしていただいて、ありがとうございましたm(__)m
雪 (木曜日, 21 1月 2021 17:06)
ずっと、カウンセラーの先生と私と、どちらが正しいのか、それを、考えてきました。どうしても、悔しくて納得がいかなくて。
でも、考えていると、あのカウンセラーの方が、心のなかで、「そういうことじゃない」と、いうので、
葛藤がありました。
こちらで、ご回答頂いても、私が、「わたしは、間違っていないんだ」と、知らしめたいのは、通っていたカウンセラーで、あって、そのカウンセラーが、受け入れてくれない限り、納得いかない感情かもしれない、ふと、そう思いました。
わたしは、私の選択を、信じてあげようと思います。
あのカウンセリングを、止めたことは、私にとって、正しい決断だった、その思いは、ずっと変わりません。その気持ちを、私自身が、信じてあげようと思います。
優しく誠実なコメントを、していただき、本当にありがとうございました。
とても、嬉しかったです。
青い鳥 (金曜日, 22 1月 2021 01:39)
いろんなカウンセリングルームでカウンセリングを受け10年近く経過します。
正直、良くなってる感覚はなく、むしろ傷つけられトラウマが増えた感覚です。
心葉さんのところでカウセリングを受け直した場合、やはりゼロからやり直しになるのでしょうか?
むしろトラウマが増えたぶんマイナスからのスタートで何年もかかるのでしょうか?
すごく悩んでます。
心葉 (水曜日, 27 1月 2021 14:16)
>雪さん
コメントありがとうございます。
それではこちらからのコメントも、ここで一区切りとさせていただきますね。
でもあと一言だけ。
>>わたしは、私の選択を、信じてあげようと思います。あのカウンセリングを、止めたことは、私にとって、正しい決断だった、その思いは、ずっと変わりません。その気持ちを、私自身が、信じてあげようと思います。
雪さんの中から湧いてきた心の声、僕の心に響きました。涙腺も緩みました。
カウンセラーとして、本当にお役に立てることは何なのか。改めて考えさせられます。
大切なこと、自分の心にしっかりと刻んで、精進していきたいと思います。
>青い鳥さん
コメントありがとうございます。
カウンセリングを継続して受けられているのですね。
ご質問の『ゼロからやり直しになる』かどうかですが、トラウマ(傷つき)の状況・状態によって、どのような進め方が良いか変ってきますので、一概にはお答えするのは難しいのです。
ただ、仮にこれまで受けてこられたカウンセリングで、トラウマケアの準備が行われてきているとすると、そこから積み上げていくことになりますので、ゼロからのスタートにはならないです。
一方で、傷つき体験が増えてきているとすると、自律神経系の調整機能が弱くなっている可能性がありますので、調整力を上げていったり、傷付きの根っこにアプローチする必要があります。この場合は、少し時間がかかると思います。
とは言え、ケースバイケースではありますが、かなり深刻な生育歴があって、それに伴うトラウマがかなりある方でも、年齢×10分の1くらいの継続カウンセリングで、大分良くなってくるという印象があります(頻度にもよりますが、20歳なら2年、30歳なら3年、というイメージです)。
上に書いたように、トラウマケアの準備が出来ていたり、また相談に来られる方の生活状況が恵まれている場合(家族がサポートしてくれる、会社の理解が得られている、など)は、さらに改善は早くなるかなと思います。
いずれにせよ、一度状況を整理して、何をしていけば良いのかという方向性が見えると良いかも知れませんね。
以上です。お答えになっていると良いのですが・・。
どうぞよろしくお願いいたします。
(※返信のコメントは必要ありませんので、ご参考まで)
kns (水曜日, 10 2月 2021 11:51)
こんにちは。
初めてコメントさせていただきます。
私は、まだ一度だけですが、心葉さんでカウンセリングを受けさせてもらったものです。
先生には、丁寧にお話を聞いていただき、大変お世話になっております。
今、久しぶりにこのコメント欄を読ませていただきました。
この場では、クライアントの身である私がコメントすべきことではないと、重々承知しているのですが、あまりにも気になり、見て見ぬふりをすることができず、思わずコメントを打ってしまっている次第です。
1月21日を最後にコメントされていた、雪さん、その後、いかがお過ごしでしょうか。
辛いご経験をされて、心を傷めていらっしゃる様子が手に取るように伝わってきて、とても他人事のようには思えませんでした。
実は私も、過去にいろいろと辛い体験をして、一時期は、本当に生きる希望を失っていました。
雪さんのように、カウンセリングに通い、効果を感じず、また違うカウンセラーを求め、そこでも傷つく体験をし、検索できるワードは全てネットで検索、本も何冊か読んではみるものの、読めば読むほど頭は混乱し、の繰り返しをしてきました。
今は、なんとかそれを克服し(心葉の先生のおかげでもあります^ ^)、逆に自分の経験を活かして、同じように辛い思いをされている方の支えになれるよう、細々ですが、相談業を始めたところです。
(すみません、決して、宣伝ではありませんので、ご了承くださいませ。)
雪さんは、お住まいが遠いため、心葉で先生のカウンセリングを受けることができない、とのことでしたが、現在はどこか他のカウンセリングなど受けたりできていますでしょうか。
とても心配です。
余計なお節介でしたら、お許しください。
でも、余計なお節介であってほしいです。
雪さんが元気、でなくても、無事に生活できていらっしゃるなら、お節介に越したことはありません。
雪さんこのコメント欄、偶然にも開いてほしいです。
先生、この欄を勝手に利用させてもらい、本当に申し訳ありません。
これを読んで、気を悪くされた方がいらっしゃいましたらお詫び申し上げます。
心葉 (木曜日, 25 2月 2021)
>knsさん
コメントありがとうございます。
返信が遅くなってしまって、すみません。
実は、現在HPを新しいものに移行する手続きをしていまして、これまで皆さんに
書いていただいたブログのコメントが新しいHP上にどう移行されていくのか、
専門の人と調整しているところで、返信が後手後手になってしまいました。
コメントいただき、内容を拝見し、嬉しい気持ちで一杯です。
コメント欄の本来の使い方とは違いますが(笑)、これはこれでとてもいいなと思います。
温かい気持ちが、雪さんに届くといいですね・・。
引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
s (日曜日, 28 2月 2021 17:13)
「”辛いカウンセリング”がありうる」と知って、とても気持ちが楽になりました。
御礼を言いたいと思い、コメントさせて頂きます。
以前、初めてのカウンセリングを受けたものの、傾聴だけで物足りなく思い、その通りに本音を言ったところ、「批判」されました。
私は、カウンセリングの素人で、初めての体験で、ルールや流れが分からな中で、場の支配者であるカウンセラーに「批判」されたことで、大変悲しい気持ちになりました。
おそらく、そのカウンセラーの方であれば、それは「批判」ではない、私が「誤解」しているだけ、それは「私の主観」で、私が求めようとしているものは「カウンセリング」ではない、と言うだろうと思います。(面談中に繰り返し言われたので)
しかし、私の主観をおいてけぼりにして、「正しいカウンセリング」とやらをされたところで、「私のカウンセリング」はどこに行ってしまうのでしょうか。(笑)
その後、困っているので何とかしたくて読み漁っているセルフケアの本や、別のカウンセラーの方のレクチャーや、こちらの掲示板などで、「自分の課題」が見えつつあるので、今では、この件を「(笑)」で話すことが出来ます。
人間同士の相性が悪かっただけ、あの個人一人と理解しあえなかっただけ。
美容院や病院や演奏会と同じで、求めていた施術と違っただけ。
あの美容師のカットや、あの演奏家の表現解釈が好きな人もいる。
あれが”辛いカウンセリング”だっただけ。
とは言え、「対話のプロ、心のプロ」と思って頼った方と相性が悪いと、他のサービスより、ダメージが大きかったです。
自分がおかしいのか、自分のお作法が悪かったのか、それとも、カウンセリングというものは無駄なものだったのか(そう思わないと自分が悪いことになってしまうので)。
悶々とそう思ってしまっていた頃の自分に、こちらの投稿をませてあげたいです。
これからも、心の支えとして、こちらのブログを読ませて頂きたいと思います。
また、オンライン面談であれば、距離を気にせず受けられるので、また問題が大きくなったときには、ご相談させて頂きたいと思います。
どうもありがとうございました。
ぱんだ (木曜日, 11 3月 2021 14:54)
ひとの考えや思いを知れるのは、自分自身の気持ちが整理される感じがしました。
トモ (土曜日, 20 3月 2021 12:03)
こんにちは。
いつもお世話になっております。
他の方への『愛の再形成』についての説明を読み、いろいろ思うことがありましたのでコメントさせていただきます。
私は治療を受けようとしていますが、私にとって「治療=麻酔なしの手術」と感じています。それでも痛くなく手術をしていただけるだろうとは思っていますが、傷口から血を垂れ流したまま帰るんだろうと思っていて、そんなときに『愛着の再形成』についての説明を読みました。
「海に落ちてしまって浮遊物にしがみついている人がいたとして、……とても泳げそうもなかったら……あらゆる手段を使ってカウンセラーが助けに行く。まず現場に行き、助ける」という説明を読んだときに、いつも接してくださる様子や最近実際に助けていただいたこともあり、本当に助けてくださるだろうと確信できましたし、温かい気持ちになりました。
また、傷を「癒すことに必要なのは、本人の努力や頑張りではありません。他者からの慈愛の気持ちや繋がりです」という言葉からも、私に本当に必要なことがこういうことなんだろうなとよくわかりました。
今後治療を進めていくなかでもいろんなことが起きると思いますが、信頼して、安心して治療にのぞもうと思います。
安心することができるご説明をありがとうございました。
心葉 (土曜日, 20 3月 2021 19:54)
>sさん
コメントありがとうございます。
以前受けられたカウンセリングで悲しい思いをされたとのこと、胸が痛みます・・。
書いてくださった通り、カウンセラーは『対話のプロ、心のプロ』でなければいけないと思います。
Sさんの心の力や努力によって、色々と気持ちの整理をされて、今ではそのことも『(笑)』で済ませられるようになっているのが救いです・・。
この記事に沢山のコメントが返ってくるのは、まだまだ傷ついたままでいる人達がいるからだと思いますし、何とかそこに、自分なりの光を投げかけていきたいと考えています。
とは言え、自分もまだまだ未熟な面も多々あります。
(自分が気づかないうちに辛い思いをさせてしまっていることも、きっとあるのだろうと、内省している日々です)
ここのところは、本当に真摯に研鑽を積んでいかないといけないところですね。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
>ぱんださん
他の記事にも色々とコメントをくださったんですね。
ありがとうございます!
『自分の気持ちが整理される感じがしました』とのこと。
人それぞれの受け止め方はあるのだろうと思いますが、ブログがきっかけとなって、何かの役に立てればと考えて書いていますので、とても嬉しいです!
他のコメントを書いてくださった方々にも、改めて感謝の気持ちで一杯です。
>トモさん
コメントいただいたこと、とても大切だと感じています。
心の深くに触れていくのは怖いのか?
これまで傷ついてきたり、怖い思いを沢山してきたすると、心の蓋を開けることは、やはり怖くなりますよね。
『愛着の再形成』はとても大切です。
大人としての意志を強く持ちつつ、優しく、過去に触れていきます。
私たちは、最初は誰でも赤ちゃんです。
そして、その時には全部助けてもらっていい。
無条件に愛してもらっていい。失敗したっていい。上手くやらなくたっていい。
大きくなるにつれて、ちょっとずつ自立(自律)していくのだけれど、
それでも、その人の歩みのペースに寄り添ってもらって、大切にされて良い。
そんな関りがセラピーの本質(基礎)です。
『信頼して、安心して』と書いてくださって、とても嬉しいです。
この位置に居てもらえることに感謝です。
そして、ここが揺らいでしまっては、元も子もありませんので、もし今後何か不安なことや疑問が出てきたら、遠慮なく聞いてくださいね。
引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
風に吹かれて (火曜日, 23 3月 2021 16:54)
コメント欄の皆さんの考えや深い思い、悩みを読んでいると、「私もそうだなー」と辛さを共感して思えて。
温かい優しさがとか、前向きな気持ちになったとあると、「ほんとに良かったー!」って、お会いしたこともない方々の幸せが文字から私に入ってきます。。
5月病が前倒しできたのか、
数日眠れない夜をこのコメント欄を読み直して過ごしています。
助かっています。。
「皆さまありがとうございます」
先生のコメントにもありました
「他者からの慈愛や繋がり」を、
このコメント欄で感じさせていただいてます。
心葉 (火曜日, 13 4月 2021 10:30)
>風に吹かれてさん
コメントありがとうございます。
つくづく自分は、クライエントさん(まだお会いしたことのない人も含めて)に
支えられているなーと感じます。
沢山学んで、色々知恵を絞って、自分なりの臨床を創り上げたとしても、
カウンセラーとして出来ることは限界もあって。
そういう時、自分も想定していなかった何かや誰かの支えがあると、専門家も救われて。
何かもう、この『辛くないカウンセリング』のテーマは、色々コメントもいただいて、
とても嬉しくて、自分が一番癒されてるのかも(笑)。
「他者からの慈愛や繋がり」。
これが広がっていったら、幸せな人がもっともっと増えますよね。
カウンセラーとして出来ること、そして自分だからこそ出来ること。
どこまでたどり着けるのか分かりませんが、それでも真摯に「そのタネ」を
撒き続けたいと思います。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。